深谷Biiki 第6号
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滝岡橋駅岡岡ちじまちじま47栄一の才覚を育み、生涯愛した場所深谷探訪 第5回 ②「論語の里」を巡る 栄一の生地・中の家は「なかんち」と読みます。江戸末期、一族の分家の位置により、「中の家」を中心に「遠西の家」、「前の家」、「遠前の家」、「東の家」。さらに「東の家」の分家で「古新宅の家」、「新屋敷の家」と呼び、呼び名は現在も引き継がれています。 栄一の実家は藍玉の製造販売と養蚕に加えて米・麦・野菜の生産農家でもありました。幼い頃から家業を手伝い、父と藍葉の仕入れや藍玉を信州や上州まで売り歩きました。この経験が商才を育み、さらに富岡製糸場設立のアイデアも生まれたと言われています。 栄一は18才で従妹であり尾高惇忠の妹・千代と結婚。24才で中の家を千代に任せて深谷を離れます。29才に千代と子を呼び寄せた後も栄一は故郷を大切にし、多忙な中、暇を作って帰郷し、特に諏訪神社の獅子舞と煮ぼうとうを楽しみしていたそうです。母屋の奥には栄一がくつろいだ座敷があり、そのままに保存されています。栄一の偉業の証を観て、聴いて、感動! 「渋沢栄一記念館」には、栄一直筆の書、写真、伝記資料等のほか、徳川慶喜、勝海舟、大隈重信など明治の偉人の書なども展示され、解説員さんが丁寧に話してくれます。栄一の偉業の一端を見て、聴いて、感銘を受けられる場所と言えますね。館内で目に留まる『青い目の人形』。昭和2年に日米両国の親善を目的に米国から『青い目の人形』が日本の子どもたちに贈られ、栄一翁がお礼に市松人形を贈ったのだそうです。「約1万2千体の人形が米国から贈られましたが、埼玉県内で現存するのは12体だけです。お人形全員に名前があってパスポートも持ってきたんですよ」と解説員さん。館内の人形はレプリカなんだそうです。 命日11月11日に開かれる「煮ぼうと会」では、渋沢翁の写真に「煮ぼうと」を供え、招待客全員で隣接する八基小学校(明治26年開校)の校歌を歌います。大正4年制定の校歌は、栄一の長女・歌人の穂積歌子の作詞。埼玉県の小学校でも最も古い校歌なのです。①旧渋沢邸「中の家」●所在/深谷市血洗島247-1●開館時間/8:30~17:00●休館日/年末年始●入館料/無料②渋沢栄一記念館・八基公民館●所在/深谷市下手計1204●開館時間/9:00~17:00●休館日/年末年始●入館料/無料れましたが、埼玉県内で現存するのおはようございます♪

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